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写真・芸術  |札幌市中央区

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2005年02月28日

今は昔

404.jpg

友人から、写真を整理していたら私のが混じっていたからと8枚ほどメールで送ってきました。その中に、昔のパソコンの写真が入っていました。昔(1992年)はこんなのを使っていたのです。
パソコン:NEC PC−9800DX2
      i486DX2/50 (pentium はもっと後でした。)
      5インチフロッピーディスク
      40MB外付けHDD(40GBではない)
      メモリー2MB増設(2GBではない)
モニター:14inchCRT

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パソコンの上にあるのは、上の右にあるのが、144/430MhzのUVF/UHFのアマチュア無線の器具です。上左が21Mhzの器具。下の薄いのがTNCというもので、アナログデータをデジタルデータに、またその反対に変換するもので、アマチュア無線でパケット通信をするためのものです。今で言う携帯のメールの交換を他の局とするためのものです。パソコンで入力した文をこれで変換し、無線機で電波として飛ばし、相手局が受けて変換し画面に表示するというのを繰り返して交信していました。またある局はホストになってそこのHDDに沢山の局が書き込んであるのを読んだりしていました。今のブログの文字版みたいなものです。

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これがアパートの3階に設置していたアンテナです。右のFMのアンテナ見たいのが144/430Mhz用。これで調子が良いと、鹿児島の局、柳井の局、松山近くの山頂の局、平戸の局、などと交信できました。斜めに伸びているのが、釣り竿に電線を這わせて作った21Mhz用のホイップアンテナ。たった2Wの出力ですが、これで北海道やフィリピン、沖鳥島、香港、台湾、ロサンゼルス近郊などと交信できました。県は大分県を残すのみ、市は250くらい、郡も200近く交信しています。3年前に今の家に引っ越すときに全部分解してしまいましたので、無線も今は休止しています。今なら大きなアンテナも立てられるので、将来子供が手を離れたらまた再開しようかなと思っています。
しかし最近は144Mhzの無線機とインターネットをつないで世界中の参加局ときれいな音声で電話みたいに交信できるエコーリンクみたいなシステムができていますので、無線に魅力を感じるかその時になってみないと分かりません。ただ航空無線は聞きたいので、簡単な設備は復活させようと思っています。

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Posted by Sorin at 22:56│Comments(12)雑感
この記事へのコメント
私もその頃NECのPC-9800を使っていました。スペックは忘れてしまいましたが、ペラペラの5インチフロッピーだったことだけ覚えてます。
81年ごろ初めて買ったパソコン(マイコン)がPC-8000だったような気がしますが、メモリーが64KBで ハードディスクなし、外部記憶はカセットテープという代物でした。高かったのに、よく買ったものです。使い道もないのに・・・。
ホントにパソコンの進化はスゴイですねぇ。
Posted by keiko at 2005年03月01日 14:30
>keikoさん、こんにちは。
私が最初に見たパソコンがPC8001Mark2というものでした。たしか82,3年頃です。データはおなじくカセットテープに300bpsで記録していました。そのうちフロッピードライブが発売され、10万円くらいでした。5インチFDが一枚500円くらいでばら売りでした。やがて雑誌の付録も、01011100とかの羅列されたマシン語のプログラムのページから、5インチのFD(プログラム入り)となり、それが3,5インチに代わり、CDに代わり、いまや一枚4.5GBのDVDです。
私の40Mb外付けHDDも4万円でしたが、今は外付け120GBで1万円ほどでしょうか。
表示もカタカナだけしか表示できなかったのが、ひらがなに漢字(弟1水準のみ)、やがて第2水準も、と進みました。
基本ソフトもベーシックからMS−DOSが段々バージョンアップしていき、Win3.0になったときはびっくりしました。そのころからパソコンの性能も急上昇し、買い換えるたびに前の機械とソフトを全部捨てるくらいの進歩でした。
いまやパソコン本体は自作の対象となりましたが、逆にソフトは自作するには大きくなりすぎました。
80年頃からずっと身近に見てきましたから、本当に進歩のすごさには驚いています。
こうして写真満載のブログやらできるとは想像すらしていませんでした。
年を取ることの楽しみの一つに、こういう移り変わりを体験できることにあると言えるかも知れません。
Posted by Kiyo at 2005年03月01日 23:55
私は無線のことは知りませんが、最近 無線のことは
あまり聞かないような気がします。
ネットと融合しているのですか?
Posted by manbow at 2005年03月02日 01:08
CPUアクセラレータとかオーバードライブプロセッサとかもあったりして、それなりに楽しめましたよね。
Posted by Ritchie at 2005年03月02日 07:11
Kiyoさんのエントリーでいろいろ昔のことを思い出して書いてみました。よかったら読んでください。
Posted by keiko at 2005年03月02日 20:20
>manbowさん、こんばんは。
今はだいぶ下火ですね。携帯が出る前は144Mhzなど、チャンネルの空きを探すのが大変なくらい、各局が出ていました。携帯が出てみるみる数が減ったようです。長距離で交信のできる短波帯もどうでしょうか?インターネットの普及で数が減っているのでは。特にパケット通信など、全滅でしょうね。おそらく。
エコーリンクはチャットソフトの一つです。パソコン上で無線の免許を持ったもの同士がチャットできるシステムです。
イメージとしてはある日本のA局とアメリカのB局がエコーリンクで結ばれているとします。A局がそのパソコンと無線機をつないでいるとすると、その無線機にたとえば近くの局Cが自分の無線機で交信すると、C局はアメリカのB局ともチャットできることになります。アメリカのD局が無線機でB局と無線機で交信すると日本のC局とアメリカのD局がチャットできたりします。
と言うようにすでに何万局か参加しているようなので、いとも簡単にアメリカやロシア、ヨーロッパの局とも交信(チャット)ができるのです。
まだ無線と融合と言うまではいっていないですが、無線をやっている人はパソコンもやっている人が多いので、連結させるのは当然の成り行きです。
私が最近、無線機に火を入れていないので、現状がよく分かりませんが、昔より活動している局が少ないのは、送られてくる日本アマチュア無線の機関誌やCQという雑誌の薄くなったことでも分かります。でも趣味tの一つとして以前人気のあるものには代わりがないと思います。
Posted by Kiyo at 2005年03月02日 22:19
>Ritchieさん、こんばんは。
そうですね。なんとかして自分のマシンの性能を上げようとして、CPUアクセラレーターを買おうと貯金していたら、すぐ新しいCPUが出て。
劇的に変わったのはやはりWindows3.0の出現でしょうね。私は93年から4年にかけてNYにいたのですが、会社のすぐ近くに5番街にパソコンショップがオープンし、Windowを走らせたマシンで映像を流しっぱなしにしているのを見て、びっくりしたものです。たしかマシンとCRTのセットで2000ドル以上したと思います。帰国して95年の2月頃にIBMのマシンに買い換えたのでした。

>keikoさん、
女性でそのくらい古いマシンを扱っていた(持っていた)人は私の周りにはいませんでした。今はみんなパソコンを扱いますが、当時は珍しかったですよね。パソコン通信も文字だけだったし。
Posted by Kiyo at 2005年03月02日 22:31
私はまだダイナブックGS001(CPU286)を使っていました。94年でやっと486DX2 66MHzでした。振り返ると、確かにパソコンの進化の速さはすごいですね。
Posted by さるのすけ at 2005年03月02日 22:37
上に書いてあることは全く理解できない私です。ただ、コンピューターの進化がすごい、という点では、現在私のようなものでも使っているのですからすごい、と実感します。w

学生時代、手動タイプライターを習いました。あの、改行する時にレバーをギーッとやってチンッというヤツです。(何年前なんて聞かないで。。。)昔の映画の新聞記者みたいでかなり気に入っていました。その後、過去の遺物のようになったタイプライターを見て、は〜無駄になったな、と思ったりしたのですが、あの時習ったブラインドタッチが今非常に生かされています。本当によかった、と実感します。もっとも、プロパーなブラインドタッチを知らなくても、皆さんかなり速く打ちますよね。w

小学生の英会話のテキストに "work on my homepage" という表現が出てきます。「みんな自分のホームページなんか作りたい?」と聞くとほとんどの子達が「やりたい、やりたい」といいます。いろいろな面で、この子達に追い越されるのも時間の問題、と妙にさびしい私です(涙
Posted by ゲスト at 2005年03月03日 12:56
>さるのすけさん、こんにちは
93年頃アメリカで売っていた日本製のパソコン(日本語入力ができるもの)として東芝のダイナブックとNECが載ったリーフレットをもらった記憶があります。高くて手が出ずに、日本語FEPを探したのですが、単独では販売してもらえませんでした。その当時からダイナブックはアメリカでも有名でした。

>Judyさん、こんにちは。
家には和文タイプライターがありますよ。おばあちゃんが使っていました。江崎グリコ事件で同じタイプライターが使われたとかで警察が事情聴取に来たそうです。
ブラインドタッチですが、いいですね。タイプライターを習っていたらお手の物ですね。私も独学ですが、結構早く打てます。これも無線でパケット通信をやっていたお陰です。パソコン画面に文字が出て、それで会話をするのです。
ホームページですが、下の娘は何も教えないのに、ネット上でホームページの作り方を検索して勝手にフリーのHPを作ってしまいました。今はタブレットでイラストを描いて発表するグループに参加しているみたいです(見たことがないのでよく分かりません)。
Posted by Kiyo at 2005年03月03日 18:01
老人大学は3月12日の修了式で、一応卒業したいと考えております。パソコン三年、国際情報一年、そして今回の文芸一年、と都合5年間通いました。別に大したことを勉強したわけでもありません。週に一日の登校日がありまして、大学教授や元新聞社の編集長さんなどの講義を聞きながら大抵は居眠りして過ごしました。各科一年間で修了で、次は又自分の好きな科目を選んで申し込みます。人気のある科目は競争率が高くパソコンなどは30倍もあります。それで、抽選で選び幸運な者が入学をします。jijiiはいつも幸運でした。5年間も居座りましたから、もうこれくらいで席を人に譲ってもいいかなって考えました。北国にご無沙汰しているのは、少々怠け心と私事で忙しくしているだけで、まことに申し訳ありません。又、気を入れ直してせいぜい頑張るつもりです。どうぞよろしく。
Posted by jijii at 2005年03月04日 23:16
>Jijiiさん、こんばんは。
お風邪でもなく、忙しくしておられたとのこと、安心しました。寒いですからね、出歩くのが億劫ですよね。
私は今日昼から半休を撮ったのですが、天気が良いので春日公園に鳥を撮りに行こうかと思ったのですが、何か億劫で、パソコンのファイルの整理をしていました。
Posted by Kiyo at 2005年03月05日 00:10
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